2008年08月12日

「消費者がやかましい」



太田誠一農林水産大臣が、NHK番組で、食の安全に関し、
「日本国内では心配しなくていいと思っているが、
消費者がやかましい
から徹底してやっていく」と発言して、批判を浴びた。

「やかましい」という言葉は、相手を批判的に捉えているからでてくるわけで、「理不尽」というニュアンスが含まれる。

消費者全般の考え方を批判するのであれば、組織の長として、しっかりとした説明責任があるわけで、それもなしにただ
”うるさいから言われた通りにする”というような発言になるのは、現在の
「名前だけ大臣」
を象徴するような発言だ。

太田大臣の弁明としては
「日本は消費者が正当な権利を主張できる民主主義の国、という趣旨だった」としているが、

「やかましい」と「正当な権利を主張」では全く逆
の意味だから、
全く弁明になっていない。

多分、普段から思っていることがつい口をついて出てしまったのだろう。
批判されても仕方ないだろう。


ただし、一方で、
「消費者がやかましい」というのは、食品を扱っているほとんどの業者が思っていることも事実。


日本の消費者は世界一わがまま。

形、色、にこだわり、味はもちろん、産地、ブランドに目を光らせる。
十分に食べれる物でも、賞味期限が切れたり迫ったりしたものは食べない。
無農薬、無添加を望み、遺伝子組換えは無条件でノー!中国産は絶対反対、輸入品もイヤ。
食に関わるありとあらゆる条件を要求しておりて、相応のお金も出さない。

日本は物質的に満たされすぎているがために、それがどれだけ恵まれていて素晴らしいことかが、見えなくなっている。


食の安全に関しても全く同じことがいえる。

日本ほど、そして今の時代ほど安全な食費に満ち溢れていることは、どの世界にもどの時代にもない。


そんな環境にいながら、食に怯え、食に不満を持つ。
まさに、不満と不幸の際限のない連鎖だ。

100%の安全など、求めようがない不可能なことなのに、「100%でないといけない」と思っている。


日本の消費者がこうなった一つの原因が、サービス提供者が消費者を神様扱いしたことにある。

だから、消費者に対して、どんな理不尽なことにも反論が許されない社会になってしまった。

「和民」の社長はこう断言しました。
「お客様と店員で注文に食い違いが出た時、常にお客様が100%正しい。仮に録音を取っていて、店員の言うとおりだったとしても。」

消費者がいくらモンスター化しても、利益がでているうちは良い。
それによって「食べさせてもらっている」と考えることができる。

しかし、実はもう限界まで来ている。


「食べさせてもらえる」なら神様扱いでも良いが、損するならその限りではない。

また、現在の水準より要求を高めると、意味のないことにコストを費やし、値段に跳ね返る。
或いは、行政コストとなって税金が無駄に使われる。
要求する消費者にとっても、社会全体にとってもマイナスになる。

消費者が知らなくてはならないのは、このような食品の現実だ。


それを説明しなくてはならないのが、政治家、役人、食品の専門家、そしてメディアだ。

ただ、太田大臣に象徴されるように、心の中では文句を言いたくても、誰も消費者にとって耳の痛いことを言いたがらない。

誰もが条件反射的に消費者の味方を気取る。


消費者のわがままが通り、規制が増え、食品業者の首を絞めるような行政を行って喜ぶのは利権が増える役人だけ。

消費者の目先の微々たる快楽のために社会は疲弊する。

日中間の最重要課題を「ギョーザ事件解決」などとすれば、中国は喜ぶだけ。
パンダの貸与と同じく、中国にとってどうでも良い問題に日本国民の関心が向かう裏で、経済面や領土、人権問題など重大な国益を得ればよいのだから。


情報の発信者は「そんなことでいいんですか?」と言わなくてはいけない。


もちろん僕はやります。






posted by うな太郎 at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 食品の安全 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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